「なめんなよー!」でもペロペロしちゃう新体操ネコ(2021年10月16日)

 思わず「なめんじゃねー」と言いたくなるようななめっぷりのネコです。

 ペロペロペロ、どんだけなめるんでしょうか?

 ノルウェージャンフォレストキャットのモカ(9カ月、女の子)です。

 なめられているのは新しい仲間のラテ(3カ月、男の子)です。

 寝技に持ち込まれ、本当に寝てしまいました。

 なめまくるモカ。ぬいぐるみのエビちゃんをダイナミックに振り回し、「まるで新体操みたい」な演技を見せるネコちゃんとして8月に番組で取り上げていました。

 それから1カ月余り・・・遊びの相棒だったエビちゃんは皮肉にも「モカ」の手で見るも無残な姿になってしまったのです。

 そんな「モカ」のもとに先月末、やってきたのが同じノルウェージャンフォレストキャットの「ラテ」です。

 生後3カ月、モカより半年年下の雄です。

 飼い主:「モカの方が親みたいな感じ、(ラテが)弟というよりは・・・。私から見ていると親子のように見えますね。可愛がっているような。じゃれあった後にペロペロしてたり」「(Q.必ずモカがなめている?)そうですね、今見ていると・・・モカがなめていますね」「(ラテが来てからは)見向きもしなくなってしまいました」

 同居当初は「モカ」が「ラテ」を威嚇することもありましたが、1週間ほどでこのペロペロでの愛情表現が始まり、その後、日に日に仲が深まっているということです。

 今は体の大きさが大きく違い、親子のような2匹ですが、「ラテ」が成長した時には「なめんなよ」とじゃれあう日が来るのでしょうか。
[テレ朝news]

コメント

  1. ルシファーM より:

    ノルウェージャンはよく舐めるし運動会は激しい。

  2. 猫からのお願い!登録よろしく! より:

    自分も猫飼ってたけど小さい時はめっちゃ懐っこいんだよね(笑)大人になってきたら少し暴れん坊になってきたり噛んできたりするけど(笑)それでも可愛いよ。

  3. ᔦఠఠᔨVS‎⁦ᔦꙬᔨ より:

    猫の飼いたいけど、父親アレルギー持ちなので飼えません!

  4. 海斗 より:

    可愛い

  5. DOVIID より:

    日本人の奴隷が存在した。
    ポルトガル奴隷となった大和民族
    奴隷は未だに奴隷として今なお奴隷の子孫として日本に生き残る真実、奴隷は未だに自由ではない。
    ポルトガル人が1543年に初めて日本と接触した後、南蛮貿易で大規模な奴隷貿易が発展しました。ポルトガルの貿易の1つには、ポルトガル自体を含む海外のさまざまな場所に販売した日本人のポルトガル人による購入が含まれ、南蛮貿易が存在していました。 16世紀から17世紀を通して。多くの文書は、日本人の奴隷化に対する抗議とともに大規模な奴隷貿易に言及しています。 1555年にローマンカソリック教会が指摘したように、日本の奴隷は彼らの国で最初にヨーロッパに到着したと考えられており、ポルトガル人は性的な目的でポルトガルに連れて来るために多数の日本の奴隷の女の子を購入しました。ポルトガル語での奴隷貿易が大幅に拡大して以来、カトリックの改宗に悪影響を及ぼしたため、彼は1571年にそれを禁止するよう命じた。ガスパール・フェルナンデス、ミゲル、ベンチュラという16世紀の3人の日本人奴隷がメキシコに到着したという記録によると、彼らは日本のポルトガル人奴隷貿易業者によって購入され、マニラに運ばれ、所有者のペレスによってメキシコに送られました。

    5万人以上の日本人、特に女性が奴隷として売られた。ポルトガル人の訪問者は日本で奴隷制に従事することが多く、時には南アジアとアフリカの乗組員がマカオや東南アジア、アメリカ大陸、そしてゴアに日本の奴隷と商人のコミュニティがあったインドの他のポルトガルの植民地に連れて行かれました。一説にはポルトガル人が主導して海外へと売られた日本人は、およそ5万人にのぼったと推計されています。 しかし秀吉の伴天連追放令は厳しい内容ながらも、信仰とポルトガルとの交易そのものを禁じたわけではない点も明記されていました。 17世紀初頭までに、その多くは売春婦になりました。奴隷にされた日本人女性は、1598年の文書でポルトガルのイエズス会のルイス・セルケイラが言及したように、日本で取引されているポルトガルの船に乗るヨーロッパの対応者と一緒に、アフリカの黒人乗組員にコンキュバインとして売られることさえありました。 秀吉はこの奴隷貿易についてポルトガル人とイエズス会を非難し、結果としてキリスト教徒の改宗を禁止した。しかし、歴史家は、特にポルトガル人による性的目的での日本人女性の購入に関して、反ポルトガルのプロパガンダが日本人によって積極的に促進されたと指摘している。
    南蛮貿易で日本に来ていたポルトガル人の中にも1492年以降、異端審問を逃れてきたセファルディム系の人たちがいたと思いますが日本には悲しい歴史がありました。大村純忠がカソリックに回収してポルトギーズの奴隷と自らなりカソリックに回収しない大和民族を次々にポルトガル船に引き渡した歴史があります。弾丸一つに対して50人ほどの女性、処女はポルトガル人の奴隷として売られていたほどです。モザンビークの黒人奴隷がポルトガル船に載せられて日本に到着した際にポルトガル人はモザンビークからの黒人奴隷に日本人奴隷を買う許可を与えていたのでモザンビークの黒人奴隷が性的欲望に飢えていたのを切っ掛けに日本人奴隷、(主に女性、処女)は売り飛ばされていた現実があったことに信じられないほどの驚きがありました。日本の教科書に載せられなかった現実な真実です。その数は何千万人とも言われています。ユダヤ教では奴隷制度がありましたが現在の奴隷密度とは異なっていました。でもポルトガル人の奴隷制度は厳しかったと歴史が伝えています。まあ、この事も歴史の一部として心に残しておいて下さい。先程説明にありますようにモザンビークの黒人奴隷が性的欲望の為に大和民族の女性、処女を買っていたことについては歴史上信じられない驚きがあります。弥助というモザンビーク黒人奴隷が日本の将軍になったのはご存知でしょうか❓約四十万人以上との情報。弾丸一つに50人ほどの女性、処女はポルトガル船に載せられて連れて来られたモザンビークの黒人奴隷が性的欲望の為に処女を使用したとの事も発覚している。ポルトガル人奴隷となった日本人は未だに奴隷であり自由の身になっても奴隷であることは変わりない。奴隷の主である者が解放し、証明を提出しない限り奴隷である。日本人の奴隷たちはヨーロッパに流れ着いた最初の日本人であると考えられており、1555年の教会の記録によれば、ポルトガル人は多数の日本人の奴隷の少女を買い取り、性的な目的でポルトガルに連れ帰っていた。ポルトガルの奴隷貿易で5万人以上の日本人、特に故郷から遠く離れた異国で働く水夫等を懐柔するための奴隷として女性が売られたとされている。日本人の女性奴隷は、日本で交易を行うポルトガル船で働くヨーロッパ人水夫だけでなく、黒人水夫に対しても、妾として売られていた、とポルトガル人イエズス会士ルイス・セルケイラ (Luís Cerqueira) が1598年に書かれた文書で述べている。ポルトガル人がアフリカ土人 ー ポルトガル系モザンビーク黒人の奴隷を所有し、その黒人奴隷が日本人の奴隷を所有するというように、自ら他の奴隷の奴隷になった者もいたという。
    掘り下げが、もうひとつな記事。九州キリシタン大名(ローマンカソリック宗派)の多くが、火薬欲しさの改宗で、その代金として、領民、特に高く売れる若い女性を、ローマンカソリック教会キリシタンがらみの奴隷商人に積極的に売っていたのが、事実でしょう。
    同時代に、ローマ法皇を訪れた、天正少年施設団によると、道中インドや東南アジア、ヨーロッパ各国に、あまりに日本人の奴隷にあふれ、虐げられている事実に驚愕したとあります。その数一説には、数十万人とも言われ、メキシコや、アルゼンチンにも達したと言われています。とすると、九州でのローマカソリック教会キリシタン狩りの、通常日本人ではありえない残酷な拷問などの弾圧も、奴隷売買=ローマンカソリック教会キリシタンの、民衆の深い憎悪がベースにあるとすると、自然です。秀吉による禁教は、むろんこのためでしょう。明治維新の西欧化政策に加え、ローマンカソリック教による東洋の植民地支配の事実を封じるため、こうした史実はタブー視され、原資料、二次文献も、焚書されているのが、実情かと思います。
    家畜の売買と同じ。あと、宣教師たちに奴隷を
    提供したのは日本人の奴隷商人(大村純忠、長崎、大分県達)だったことも知っておいて下さい。

  6. 登録3万でアイコンヤバくなる奴LV? より:

    なめねこやん。

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